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飲茶さんの「最強ニーチェの哲学」読んだら神が死んだ後の世界の基本的作法が学べた気がする。

ニーチェって言葉は至るとこで聞きますが
ニーチェの哲学がどんなものかって
知らなかった。

 

 

いずれ死ぬ
すべては移ろいゆく
神はいない
人生に意味なんてない

でも
人間には
力への意思が備わっている
芸術として表現し
今の一瞬一瞬に目を開けることで
生を高揚させる!!

なんか中二病こじらせて
一晩考えて
スーパー開眼した!
ような哲学だけど
すごく力をもらえました。

ニーチェについての認識→ほぼなんもしらん。

どの程度の認識だったかというと

ツァラトゥストラはかく語りき(光文社古典新訳文庫)が
新訳版がUnlimitedで出て
さっと目を通したときに
語り口が魅力的だなー
wiz5の直訳気味のテキストの
不穏なドキドキ感
「おおっと」に通じるなー
という程度の認識だけで
ニーチェ哲学の衝撃を受けるところまで読み進めず
棚上げしてたんですよね。

まあ難解に感じたんだと思います。


たまたま
Audibleのコインが余っていて
どれか購入しようってときに
飲茶さんの本を発見して
衝動買い

めっちゃ良かった。

なるほどニーチェってこういう思想だったんだねーと

Audible版は会話なのでイメージが脳内で残る気がする

オーディオブックはいろいろと聞くんですが
淡々と朗読されると
あっさり右から左にながれるんですが

男女の声で対話型だと
刺激があるし
文脈があるので
記憶にこびりつきます。

というか飲茶さんがわかりやすいように伝える
という力への意思を芸術とし表現しているからですね。

だって
飲茶さんの他の哲学入門の本とかもすごくわかりやすく面白かったから。

小難しい議論より、わかって記憶して生が高揚するほうが大切だね

『哲学』も『宗教』も『科学』も

性を高揚させるために
使えるならそれで いい

と僕は個人的に思っていて

そのためには
まず噛み砕いてわかって
行動につながるように脳に記憶されることが重要です。

まあだからそういう意味では

飲茶さんとDaiGoさんは通じるところがあるなーと思います。
哲学・科学と分野は違うけど
僕の人生を高揚させてくれる。

どの世界にも
解釈や翻訳、厳密な定義など小難しい話に終始する人が多すぎる。
確かに

「頭いいなー」って思わされるけど
それだけですね。

神が死んだ後の世界は共通の作法になるのか?

コーチング
仏教
ポジティブ心理学
自己啓発の著者など
いろいろな思想を読んで
自分の中で納得している
世界の捉え方って
共通している気がする

神が確かだった時代には
宗教が絶対的な価値観だったけど
神が死んだ後の世界で
充実してい生きるためには
皆同じ結論に至っているのではないかなーと思った。

神が死んだというのはいろいろなきっかけがあったと思うんだけど

▼ダーウィン説が1859年
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%B2%E5%8C%96%E8%AB%96

▼脳の機能の発見が1848年頃から
https://japan-brain-science.com/archives/59

この両面は大きい。

あと言語研究でルーツがわかり始めて神が人間を作った
が無理あるんじゃ・・・

も影響あったんだろうと思う。

脳研究はだいぶすすんでる
現代ではMRI技術も発達して
脳のはたらきもわかってきてる。

普通に教育受けたら

人間は神が作ったものではない
超常現象や神秘体験も脳が起こしている

→神は解釈に過ぎないって皆わかっている

そういう世界。

進化論が神を殺し
脳科学があらゆる宗教の神秘性を脳が作る幻想であるとばらしてしまった。

その世界の中で
いかに救われるか?

となったら

『今ココを肯定して生きる』

という答えにたどり着くのは一緒なのかもしれない。

仏教とのオーバラップぶりもわかってそれが刺激的だった

ニーチェと仏教ってすごく似ているのは偶然ではない

飲茶さんの話聞いてると
ニーチェの哲学と仏教ってすごく似ているところあるなーと思ったんですよ。

偶然じゃなかった

近代の西洋の仏教研究は
ウィリアム・ジョーンズ (言語学者)が

「インド・ヨーロッパ語って起源同じじゃね?」

っていいだして
それが発端になってるんですよね。確か。

それが1800年頃

キリスト教文化圏からしたら相当衝撃だったでしょうね。

【ウィリアム・ジョーンズ】
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%BA_(%E8%A8%80%E8%AA%9E%E5%AD%A6%E8%80%85)

種の起源が1859年

仏教に対する関心は1870年代以降、近代ヨーロッパのアルトゥル・ショーペンハウアーやフリードリヒ・ニーチェといった哲学者や、ヘレナ・P・ブラヴァツキーのような神秘主義思想を追求する学者とともに、学界の間で広まっていった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%91%E3%81%AE%E4%BB%8F%E6%95%99

とある。

アルトゥル・ショーペンハウアーなんて
仏教精神そのもといえる思想らしい。
俄然興味が沸く。

やはり
仏教哲学にも関心があったんですね。

整理すると
多分

→インド・ヨーロッパ語族のリンクに気づく

→インドの文献研究 ヴェーダの研究が盛んになる

→古代インドで一世を風靡した仏教にスポットライトが当たる

→種の起源によって神が死ぬ

→仏教哲学に活路を見出す

じゃないかと推測。

印象に残ったニーチェキーワード

▼神は死んだ

▼背後世界

▼末人

▼奴隷道徳

▼超人

▼事実はなく解釈のみ

▼永劫回帰

▼大いなる正午

▼力への意思

▼芸術

特にすべての価値観がゼロになる
大いなる正午という仏教でいえば悟りに至った後の
力への意思と芸術についての哲学が素敵だ。

悟りをひらい後
そこで朽ちても良かった釈迦が
なぜ死ぬまで法を説き続けたのか?

それは
力への意思をもった
芸術表現だったのかもな。

生を高揚させる!

いま一瞬のココに焦点を絞り生を高揚させる
絶対的な価値などない
だから、奴隷道徳によるやらねばならない事などない
すべてのねばならないが取り払われたあとには
人間固有の力への意思が残る
その意思を原動力に
芸術として表現し
その一瞬のに焦点を絞り
生を高揚させる事で
永劫回帰の人生そのものを意味のあるものとする

ベッチーが言ってる
have to ではなく
want to をしろ
というコーチングもこれ。

また
無常の中の一瞬をいきる
無常・無我であっても役割が生起する
仏教の中観派な生き方と通じるものがある。

と思う。

芸術表現は子供が横断歩道の白だけで渡り切るチャレンジ

芸術と力の意思についての
例え話で

子供が
横断歩道渡るときに

白の部分だけで渡り切る!

と決めて渡ったりしますよね。
それこそが芸術表現というのはすごくわかりやすかった。

芸術表現と考えることで自分に軸を取り戻す

やらねばならないことなどない
守らねばならない価値観などない

前提を持った上で

じゃいま自分がやっていることは

芸術表現であり

それを行っているのは
内なる力の意思があるからだ

と考えることで

人生の軸を
他者から取り戻せるんじゃないでしょうか?

今後読んでみたい本

ニーチェと
ショーペンハウアーには
俄然興味が湧いてくるわけですが

それより

飲茶さんが他にどんな事書いてくれてるのか?
に興味が湧いてます。

特に数学のやつね。

ちなみにショーペンハウアーの「読書について」は
たしか
2017年6月12日にDaiGoさんがオススメしていた記憶あるな

じゃなくて記録があるな。
多分この前後で読書術の放送があったんだったけか。

めっちゃ多読のDaiGoさんがあえてオススメしてくることで記憶に残ってる。

 
 

光文社古典新訳文庫からでてて
Unlimited対応しているのでUnlimitedやってるひとは無料でよめるね